國元洋正、過去釣行写真集-1
海釣りにハマり込んで約半世紀、いついつまでも様々なお魚たちと出会える楽しい釣道人生であり続けたい
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2010年7月、トカラ列島西北部海域で釣れたカンパチ
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2006年7月、同海域で釣れたイソマグロ
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2005年3月、対馬沖で釣れた良型ヒラマサ
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2003年8月、高知県 沖ノ島周辺沖で釣れたジャンボイサギ
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2004年10月、奄美大島笠利沖で釣れたキツネフエフキダイ
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2003年2月、高知県室戸沖で釣れたブリ
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1992年2月、種子島南種子沖で
島崎安成 船長がジギングで釣り揚げたマクエ
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2000年2月、種子島 南種子沖で釣れた
大型のシマアジ(右)島崎安成 船長
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1992年2月、種子島 南種子沖で300gの
メタルジグにヒットした高級魚、良型スジアラ
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2001年6月、奄美大島沖 東シナ海側のパヤオ回りで
ジギングタックル300gのメタルジグにヒットしたキハダマグロ
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2000年9月、トカラ列島北部海域で釣れた40kgのカンパチ
マリ―ンチャレンジャー号、100人衆の保存板誌に掲載される
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1996年3月、スリーキングアイランズ沖で釣れた
40kgのハプカ、日本のメバルに似た美味なお魚
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1996年3月、スリーキングアイランズ沖でヒットした
日本では数少ない貴重なマカジキ(ストラプドマーリン)101kg
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1995年5月、エクスマウス沖で釣り上げた
クエ(グローバルコット)82kg 右 高田利夫さん
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1993年2月、小西和人さん率いる
海外遠征釣行チームに参加、ニュージーランド
スリーキングアイランズは、「お魚天国」全員で釣り上げたその釣果は約800kgあった
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1994年4月、小西和人さんとニュージーランドの
メイヤー島へ同行、同島は巨大ヒラマサの宝庫、持参した
日本製のサビキで釣ったアジをエサにメーター級の
ヒラマサが面白いほど入れ食いだった
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メーター級のヒラマサを大漁したことで日本の釣り人
(ジャパニーズアングラー)はサビキで釣ったマアジを泳がせて
釣るのがすごく上手(ベリーグッド)だと現地の
マスコミに大きく報道された(左)小西和人さん
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西オーストラリアの首都パースから北へ1.200km離れたエクスマウス海域は、巨クエの宝庫
米軍の巨大レーダーサイト(基地)がある近くの砂浜から乗船する海外遠征チームメンバー
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クエのエサになる40cmほどの活きたフエフキダイ(タマミ)を
エサに投入すれば、着底と同時に即食いつき凄い勢いで引く
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釣り上げた巨大クエは全てリリースが前提となっているため
この海域には100kgを超える超大物がウヨウヨしているそうだ
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1995年5月、エクスマウス沖で釣り上げた
55kg位のクエなど、まるで小物扱いのリリースサイズ
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1995年5月、エクスマウス沖で釣り上げた70kgのクエは
レギュラーサイズ、現地の呼び名は(グローバルコット
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1994年4月、 ニュージーランド
メイヤー島へ
小西和人さんと
同行した時に釣れた巨マサ、現地の呼び名はキングフィッシュ
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1990年5月、故 藤沢淳一郎 師匠と徳之島へ同行
友人の漁船「福廣丸」に乗り150kgのクロカジキを
釣らせることに成功、師匠の記念の一本となった
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1992年5月、友人の漁船「正福丸」で
奄美大島サンドン岩沖をトローリング中に
ヒットしたフーライカジキ
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1995年7月、鹿児島県与論島
茶花沖でヒットしたオスの巨大シィラ
当時の日本記録になった
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1995年5月、奄美名瀬港から友人の漁船で
徳之島へ向けトローリング中、大島海峡で
カマスサワラが次々にヒットした
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郷里の徳之島沖で初めて釣り上げた130kgの
クロカワカジキ(ブルーマーリン)
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郷里の徳之島沖(東シナ海側)で釣れた85kgのシロカジキ
友人の漁船「正海丸」を操船、一人でランディングに成功した
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私の郷里である 鹿児島県大島郡徳之島町亀徳新港にて
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1991年5月、若い頃のオール阪神さんと一緒にトーローリング中、徳之島沖(太平洋側)
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1985年5月、憧れの男女群島へ初釣行
南方宙釣りでイシダイが食い込んだ瞬間
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長崎県の平戸港から時化の荒波乗り越え
女島の磯で初めて釣り上げたイシダイに感動した
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イシダイをゲットしてから離島のイシダイ釣りに
ハマることになった、男女群島下の赤瀬にて
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1985年10月、種子島南種子沖で釣れた大判目玉のシマアジ
当時、南種子島の船釣りは、一世ブームを巻き起こしていた
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1983年、神戸市立「須磨海づり公園」へハネやチヌなどを狙い
シラサエビを撒き餌にした浮き釣りで連日のように通い続けた
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1985年7月頃、静岡県御前崎漁港からヒラマサを狙い
人気絶頂の金州へ通い続けた、当時巨人軍の石井選手と
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